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現地レポート

努力は裏切らない RSS

2016年12月30日 19時00分

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「JX-ENEOSウインターカップ2016 平成28年度第47回全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会(以下、ウインターカップ)が幕を下ろした。
男子は福岡第一が11年ぶりに2回目の冬の頂点に立ち、高校総体2位の東山(京都)はその壁を越えられなかった。女子は桜花学園が2年ぶり21回目の優勝を果たし、前回大会の覇者であり、高校総体2位の岐阜女子(岐阜)は連覇を目前にしながら、やはりその壁を越えられなかった。

11年ぶり2度目の頂点に輝いた福岡第一高校

11年ぶり2度目の頂点に輝いた福岡第一高校

結果だけを見れば、高校総体と同じものだったが、そこに至る内容は大きく異なる。

男子決勝後、福岡第一④重冨 周希選手が「高校総体と比べて、どのチームも個人スキル、チームスキルともに上がっています。そのことは頭に入れていたけど、想像を超えていました」と言うとおり、出場全100チームは成長の証を東京体育館で見せてくれた。
だからこそ、福岡第一も、桜花学園も苦しんだ。彼らもまた、苦しみながら、夏以降にこれまで以上の努力を重ね、3年間努力し続け、優勝を勝ち取ったのだ。

もちろん、努力だけでなく、そもそも持っている才能もあるだろう。体格のよさ、経験豊富なコーチ、練習環境も整っているところもあるだろう。
しかし、それだけでは勝てない。どんなに才能に恵まれ、指導者に恵まれ、環境に恵まれても、プレイする選手が努力を続けなければ、ウインターカップの扉は開いてくれないのだ。

そこで最後に一人の選手を紹介したい。
高校3冠を達成した女子・桜花学園(高校総体1位・愛知)の⑤平野 実月選手だ。

彼女は日本代表歴こそないものの、桜花学園のベンチ入りしたメンバーで唯一、小学校、中学校、高校とすべての全国大会を経験しているポイントガード。しかし桜花学園ではついにスタメンの座を勝ち取れなかった。1年次は3年生に高辻 真子選手(現・筑波大学 2年)がいて、2年次になると1年生に⑨山本 麻衣選手が入ってきたからだ。

⑤平野選手は、高校3年間を「後輩にもどんどん抜かれていくし、結構悔しい思いはありました」と振り返る。

そして言葉を続ける。
「でも桜花学園でしか経験できないことをさせてもらって、全国のトップ選手が集まるなかで練習をさせてもらうだけでも、自分としては成長できる場所だったのかなって思います」

先輩の壁、後輩の台頭だけでなく、1年次には小学生時代の恩師の訃報に接するなど、落ち込む要素はたくさんあった。さらに、昨年の国民体育大会前後から右足の大ケガに苦しみ、今年2月には痛みを取り除くための手術を経験した。
「自分の代になって手術をすることはとても重たい決断でしたけど、絶対にまた桜花学園のユニフォームを着るって決意して、気持ちをリセットして、手術とリハビリに取り組みました」
5月には足の痛みも癒え、コートに戻ることはできたが、感覚を取り戻すには時間がかかる。高校総体の愛知県予選に間に合い、高校総体にもベンチ入りしたが、うまくいかない時期は続いた。

それでも⑤平野選手は努力することを諦めなかった。
「井上(眞一)コーチがたまに背中を押してくれるんです。それだけで頑張れました」

その努力は最後の最後で実を結ぶ。
岐阜女子との決勝戦、第2ピリオドの残り1分21秒でコートに立ったのだ。

それまでは3番手のポイントガードとして、2番手のポイントガードがミスを繰り返したときや、試合の終盤だけの出場だったが、⑯坂本 雅選手がファウルを犯した場面で、井上コーチから名前を呼ばれた。

結果として、前半が終わるまでの81秒間だけだったが、彼女は自身初となるウインターカップ決勝戦のコートでその役割をしっかりと果たした。
「めっちゃ緊張したけど、絶対につなげなければいけないと思ってプレイしました」

⑤平野選手はそう振り返り、少しだけ間をおいて、しみじみと言う。
「あのコートに……立ててよかった」

1分21秒だが、初めてウインターカップ決勝戦の舞台に立った桜花学園⑤平野 実月選手

1分21秒だが、初めてウインターカップ決勝戦の舞台に立った桜花学園⑤平野 実月選手

努力をすれば必ず道は開ける。そう言われるが、決して簡単なことではない。
だからこそ、多くの人は途中で諦めてしまう。もちろん諦めることも、道の選択としてはあるだろう。次に選んだ道が、自らの人生を切り拓くかもしれないからだ。

しかし、それでも、最終的には自らが選んだ道で努力は必要になってくる。
それはプロのバスケットボール選手でも、学校の先生でも、美容師でも、サラリーマンでも、全てに言えることだ。
努力を押しつけるつもりはない。ただ、自らがしようと思って行動する努力は、自分を裏切らない。

“努力は最高の笑顔をつくる”
改めてそれを確認することができた、そんなJX-ENEOSウインターカップ2016であった。

歴代最多の21回目の優勝を果たした桜花学園高校

歴代最多の21回目の優勝を果たした桜花学園高校

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DNAが導いた冬の頂点 RSS

2016年12月29日 19時49分

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大混戦と予想されていたウインターカップ2016の男子だったが、気がつけば高校総体1位と2位による再戦となり、結果は高校総体に続き、福岡第一が81-78で東山を破った。11年ぶり2回目の優勝である。
チームをけん引したのは、双子の④重冨 周希選手と⑤友希選手だ。

意識下で刺激し合いながら、お互いを高め合った④重冨 周希選手(左)と⑤友希選手

意識下で刺激し合いながら、お互いを高め合った④重冨 周希選手(左)と⑤友希選手

ティップオフ直前のスタメン紹介でもお互いがハイタッチをすることなく、むしろ整列時には背番号の4番と5番が自然と離れていく。優勝が決まっても抱き合うことなく、試合後にコート上で行われた優勝チームインタビューでも、握手はおろか、目さえも合わせなかった。照れもあるのだろうが、それが彼らの生きざまなのかもしれない。好むと好まざるにかかわらず、生まれたときからずっと一緒なのだ。仲良く育ち、仲良くケンカを繰り返してきた。

それでも同級生の⑧土居 光選手は「驚いたのは寝相がまったく一緒だったことです。そのときDNAってすごいなって思いました」と笑うほど、彼らは同じ染色体で結ばれている。

一方で”双子だから”という理由だけで周囲から注目され、比較もされてきたはずだ。両親は平等に愛情を注いでいるが、彼ら自身は一個人として見てほしいという思いを強く持っていたに違いない。今も自宅から学校に通っているが、部屋は別で、登校時間も「微妙にずらしています」と、弟でキャプテンの④周希選手は言う。

それでも同じくバスケットボールというスポーツを選択し、どこかで意識しながら切磋琢磨してきたことが、高校バスケット界きってのドリブラーとなり、相手チームに脅威を与える存在となった。
自身も双子の父親である井手口 孝コーチが「適当に投げているようだけど、それがナイスパスになる。“息が合う”を通り越すプレイがあります」と言うとおり、そのコンビネーションは誰が教えなくとも、DNAレベルで通じ合っているのだ。

キャプテンであり、ポイントガードでもあった④重冨 周希選手がチームを引っ張った

キャプテンであり、ポイントガードでもあった④重冨 周希選手がチームを引っ張った

ただ難点がなかったわけではない。同じくアウトサイドシュートを得意としていなかったのだ。それが夏の高校総体以降の課題でもあった。もちろんそれに取り組んできていたが、今大会の準決勝までは高確率に決めきれていなかった。

しかし東山(京都)との決勝戦では、④周希選手が3本打って3本の、⑤友希選手も確率こそ25%だが2本の3Pシュートを、それぞれ沈めている。
東山の大澤 徹也コーチも「ウチとしては彼らのドライブで勢いに乗せるのが嫌だったので、一定の距離を保って守るように指示しました。決められたことは誤算ですが、彼らのほうが一枚上手でした」と脱帽せざるをえなかった。
そのアウトサイドシュートについて④周希選手が「周りから『入らない』と思われているので、決勝戦では思い切り打つことを心がけた。それがどんどん入ってよかった」と言えば、⑤友希選手は「高校総体から3ポイントシュートやジャンプシュートの練習をしてきたので、最後の試合でその成果が出て、決まったのだと思います」と言う。
得意なプレイが同じであれば、弱点も同じ。別々に練習してきたのだろうが、結果を出す場面も同じというのは、DNAを通り越して、2人の運命なのかもしれない。

得意でなかったジャンプシュートを克服し、チームを優勝に導いた⑤重冨 友希選手

得意でなかったジャンプシュートを克服し、チームを優勝に導いた⑤重冨 友希選手

福岡市立西福岡中学時代から彼らのことを知っていた井手口コーチは、当初こそ「別の高校に進学したほうがいいのではないか」と両親にアドバイスを送っていたという。しかし2人が一緒にプレイするところを目の当たりにした途端、その考えを覆し、「1+1が3にも4にもなるようにしよう」と自身が預かることにしたという。

それから3年の月日を経て、彼らは高校男子バスケットボール界の頂点に立った。一緒の高校でプレイしてよかったかと聞くと、④周希選手はこう答えた。
「いいことも、悪いこともありました。ただお互いの言いたいことを言い合うことでわかりあえたところもあります。ライバルではありませんが、それでもわかり合うところがある間柄です」

2人は卒業後、そろって同じ大学に進学する。寮に入るにせよ、アパートを借りるにせよ、別々の部屋を希望するだろう。それでも彼らの醸し出すハーモニーが乱れることはない。たとえケンカをしていても、コートの上に立てば、おのずと体が反応してしまうからだ。年の違う兄弟とは異なる、それが双子なのである。

幟が示すとおり、優勝を遂げるために福岡第一(高校総体1位)は最後まで走り抜いた

幟が示すとおり、優勝を遂げるために福岡第一(高校総体1位)は最後まで走り抜いた

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道を照らした3年生の灯火 RSS

2016年12月29日 19時00分

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大会最終日、銅メダルを懸けた男子3位決定戦は、新潟・帝京長岡と石川・北陸学院による北信越ブロック同士の戦いになった。

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帝京長岡の大黒柱として3年間君臨した⑭ディアベイト タヒロウ選手

このうち帝京長岡は、前日に行われた福岡第一(福岡)との準決勝、再延長まで持ち込んだが惜しくも敗戦。インターハイ王者の福岡第一と互角の勝負を繰り広げたとはいえ、惜敗の悔しさは拭い切れず、「気持ちを切り替えるのがすごく難しかったです」と⑧祝 俊成選手は明かす。加えて連戦の疲労もあり、この3位決定戦もなかなか調子が上がらず、第3ピリオドを終えて37−43と苦しい展開に。第4ピリオドには⑭ディアベイト タヒロウ選手の得点や④神田 大輔選手の3Pシュートなどで追い上げたが、最後は北陸学院のエース⑫大倉 颯太選手、④小室 悠太郎選手に活躍を許し、49−59で4位フィニッシュとなった。

2連敗で大会を終え、惜しくもメダル獲得はならなかった帝京長岡。とはいえ、3年連続3回目の出場となったウインターカップで過去最高の4位は、誇れる成績でもあるだろう。特に、この1年はさまざまな苦労を経験してきた。春先はエースの⑭タヒロウ選手がケガに見舞われ、新チームとして好スタートが切れたとは言えなかったし、何よりインターハイ予選は、ライバルの開志国際に逆転シュートを決められ1点差で敗退。主力選手が出場した国体も北信越予選で敗れて本戦には不出場となり、長く全国大会の舞台から遠ざかっていた。

留学生を除いて叩き上げの地元選手たちで構成される帝京長岡は、ディフェンスを中心とした厳しい練習で知られる。それだけに、その練習が報われず、結果の出ない苦しみはなおのこと大きかったが、それでも自分たちの力を信じてそれを乗り越えられたのは、3年生の働きかけが大きかったようだ。

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明るいキャラクターでリーダーシップを発揮した④神田 大輔選手

ポイントガードを務める2年生の祝選手は、試合後、「結果が出ない中、厳しい練習をしてきた時期が一番つらかった。でも3年生がみんなを引っ張ってくれて、乗り越えることができました」と、何度も3年生の存在の大きさを口にした。

帝京長岡のエースは、いわずと知れた⑭タヒロウ選手だが、彼だけでなく、抜群のコミュニケーション能力を生かして大所帯のチームをまとめあげた神田選手や、タヒロウ選手に次ぐ得点源として果敢にリングにアタックした⑦遠藤 善選手、縁の下の力持ちとして体を張った⑤遠藤 健斗選手など、3年生一人ひとりが、チームに欠かせないパズルのピースとして自らの役目を全うしたのだ。

帝京長岡・柴田 勲コーチは夏の負けを経て、「技術的なことよりも、“負けたくない”という気持ちが強くなったことが成長した点」と言う。その強い気持ちを、特に抱いていたのが高校最後の冬に懸けていた3年生たち。どこよりも苦しんできたという自負があり、「バスケットどうこうより、気持ちを強く持てるようになった」(神田選手)という3年生の精神的な成長が、険しい道のりを照らす光となってチームを導いていた。

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メインコートで貴重な経験を積んだ2年生の⑧祝 俊成選手が来年伝統を受け継ぐ

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